1963年6月5日、黒部ダム完成——171人が命をかけた”不可能の工事”

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6月5日は、黒部ダムが完成した日」と言われてもピンとこない人もいるかもしれません。でも「171人が命を落とした工事」「黒部にケガはない」「7年・513億円・延べ1000万人」という数字を聞けば、どれだけ凄まじいプロジェクトだったか少し想像できるのではないでしょうか。

1963年(昭和38年)6月5日、富山県の北アルプス深部に日本一の高さ(186m)を誇るダムが完成しました。今回は「今日は何の日」として、黒部ダム建設の壮絶な歴史と、現在の姿をまとめて紹介します。

黒部ダムとは?まず基本スペックを押さえよう

黒部ダムは、富山県立山町の黒部川に関西電力が建設した水力発電専用のダムです。「くろよん(黒四)」の愛称で知られ、完成から60年以上が経った今でも現役で発電を続けています。

場所は標高1,454メートル。北アルプスの立山連峰と後立山連峰に挟まれた黒部峡谷のど真ん中で、今でこそ立山黒部アルペンルートの観光名所ですが、かつては「日本最後の秘境」と呼ばれた人跡未踏の地でした。

黒部ダム基本データ 黒部ダムの主要スペックを示したインフォグラフィック 黒部ダム 基本データ 186m 堤高(日本一) 幅は492m 513億円 総工費(当時) 関電資本金の5倍 1,000万人 延べ作業員数 7年間の工事 171人 殉職者数 うち87人は雪崩 完成:1963年6月5日 着工:1956年(昭和31年) 貯水量:約2億㎥ 東京ドーム約160個分 最大発電出力:33.5万kW / 型式:アーチ式コンクリートダム 所在地:富山県立山町 標高1,454m 黒部川水系
黒部ダムの主要スペック(出典:黒部ダムオフィシャルサイト・Wikipedia)

なぜこれほど難工事だったのか?「秘境」の意味

黒部ダムの建設がこれだけ困難だったのは、単純に「山奥だったから」ではありません。当時の黒部峡谷は、人間が立ち入ること自体が命がけの場所でした。

現場へたどり着くルートが事実上存在しなかったのです。川沿いの下流ルートは険しい渓谷で行き止まり。立山を越えるルートはヘリコプターや人力に頼るしかなく、重機や大量の資材を運ぶには限界がありました。

そこで考案されたのが、後立山連峰を真っ直ぐ貫通するトンネル(大町トンネル)を掘るという方法です。これが後に「破砕帯との死闘」と呼ばれる最難関工事につながっていきます。

「破砕帯」との7ヶ月——最大の難関

大町トンネルを掘り進めていた1957年、入口から約1,600メートルの地点で突如として大量の地下水と土砂が噴き出しました。これが「破砕帯(はさいたい)」です。

岩盤がもろくなっている地層に当たってしまったのです。噴出する冷たい地下水は毎秒660リットル。温度は4〜5℃。作業員は極寒の水の中で、少しずつ掘り進めるしかありませんでした。

突破しなければならない距離はわずか80メートル。しかしそのたった80メートルを通過するのに、7ヶ月という歳月がかかりました。一時は工事の継続自体が絶望視されましたが、水抜きトンネルを別途掘るという当時最新鋭の技術(グラウチング工法)と、現場の作業員たちの執念によって突破したのです。

大町トンネル断面イメージ図 大町トンネルの破砕帯突破の概略図 破砕帯 80m / 7ヶ月 長野県 大町側(入口) 富山県 ダム側 毎秒660リットルの地下水が噴出 水温4〜5℃の極寒環境 大町トンネル全長:約5.4km(現・関電トンネル)
大町トンネルと破砕帯の位置(概略図)

「黒部にケガはない」——命がけの現場の言葉

当時の工事現場では「黒部にケガはない」という言葉が語り継がれていました。

一見すると「安全な現場だ」という意味に聞こえます。しかし実際の意味はその逆。「落ちたらケガでは済まない」——つまりミスは即死を意味するという、恐ろしい言葉だったのです。

着工当時、業界では「電力開発は1万kW生むごとに死者が1人出る」と言われていました。完成時に25万kWを生み出した黒部ダムで171人が命を落としたことは、まさにその「言葉通り」の結果でした。171人のうち87人は雪崩による犠牲者です。北アルプスの厳冬が、工事をさらに過酷なものにしていました。

ダムの右岸には今も殉職者慰霊碑が建てられており、171人の名前が刻まれています。観光客でにぎわう場所の一角に、この重い歴史が静かに残されています。

映画「黒部の太陽」——171人への鎮魂

黒部ダム建設は1968年、映画「黒部の太陽」として映像化されました。主演は三船敏郎と石原裕次郎。戦後日本を代表する大スター二人が共演した話題作です。

原作は毎日新聞に160回にわたって連載された木本正次の記録小説。「工事で殉職した171人のために紙碑を立てたい」という思いから書かれたものでした。映画は大ヒットし、黒部ダムの名前を全国に広めるきっかけとなりました。

高度経済成長期のただ中に完成した黒部ダムは、当時の日本人にとって「不可能を可能にした」象徴的なプロジェクトでした。「戦後の復興をかけた国家的挑戦」という物語が、映画というかたちで語り継がれたのです。

今の黒部ダム——観光地としての姿

1963年の完成から60年以上が経ち、黒部ダムは今や年間100万人以上が訪れる人気観光地になっています。

最大の見どころは観光放水。毎年6月下旬〜10月中旬の期間、高さ186メートルの壁面から毎秒10トン以上の水が噴き出す光景は圧巻です。霧状になった水に太陽光が当たると美しい虹がかかり、訪れた人々を魅了しています。

アクセスは立山黒部アルペンルートを利用します。長野県側(扇沢)から関電トンネルを抜けると、突然あの白いアーチが眼前に現れます。かつて死者が出るほどの難工事だった「大町トンネル」が、今では電気バスで快適に通り抜けられる観光ルートになっているというのも、感慨深いものがあります。

立山黒部アルペンルート アクセス概略 長野県側から富山県側へのアクセスルート 扇沢駅 長野県大町市 電気バス 黒部ダム駅 関電トンネル(5.4km) 徒歩220段 黒部ダム 高さ186m 観光放水(6月末〜10月) ケーブルカー 黒部湖駅 富山県側へ 立山駅 富山県立山町 ← 長野県側 富山県側 →
立山黒部アルペンルート(概略)。扇沢〜立山間は片道約1.5〜2時間

まとめ:数字の向こうにある「人間の物語」

黒部ダムは、数字で語られることが多い建造物です。高さ186m、513億円、延べ1000万人、171人の殉職者——。でもその数字の一つひとつの裏に、極寒の地下水の中で格闘した作業員たちの姿があります。

6月5日という日付は、その挑戦が結実した日。戦後日本が「不可能」に挑み、多くの犠牲の上に勝ち取った完成の日でもあります。

立山黒部アルペンルートは毎年4月中旬〜11月末に開通しています。観光放水が見られる6〜10月に訪れると、186メートルの高さから毎秒10トンの水が噴き出す光景とともに、この「人間の物語」をより深く感じられるかもしれません。

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